「弁証法」ー「地平の融合」ー「オートポイエーシス」

思想の展開

要旨

「弁証法」ー「地平の融合」ー「オートポイエーシス」は連続して展開する場合がしばしばあると思っています。3つ前のblogで「地平の融合」をアップしています。「オートポイエーシス」については、まとめては書いていませんが、Monogokoroのblog全体にわたって散見している考えです。「弁証法」について、これまで全く触れていないので、全体の説明の前に述べます。しかし正・反・合と展開する弁証法は直ぐに検索できるので、ここでは「啓蒙の弁証法」について説明致します。特に示唆的な「オデュッセイア」の話を取り上げます。「啓蒙の弁証法」は、「啓蒙」及び「弁証法」の暗い部分を明らかにしています。そしてその暗部は現在にも当てはまります。その後、プログラムをしていく中で自分の考えが自己展開していく例を述べ、それが「弁証法」ー「地平の融合」ー「オートポイエーシス」の流れに対応しているのではないか、という意見を話します。この展開は研究・開発ではしばしば生じます。「弁証法」、「地平の融合」、「オートポイエーシス」の単独で完結した話がほとんどだと思いますが、それらの展開を指摘するところに今回の特徴があります。

啓蒙の弁証法

「啓蒙の弁証法」はフランクフルト学派のアドルノとホルクハイマーが著者です。フランクフルト学派は第2次世界大戦が何故起こったのかを分析・批判しています。一流の分析・批判です。しかしだからどうすればよいか、と言うことは述べていません。何度か取り上げているポスト・モダンも第2次世界大戦の影響を強く受け、こちらは、「逃走」、「差異」、「ノマド」といった集中を防ぐ対策を述べています。しかし現在から見ると成功したとは思えません。これらのことから、だからだめだと言っているのではありません。寧ろ、予測できない難しさの中に在るということでしょう。フランクフルト学派やポスト・モダンの思想を比較し、現在を考えるのはとても刺激的なことです。
「啓蒙の弁証法」の最初のほうに、ホメロスの「オデュッセイア」の中の「セイレーン」の話がでてきます。これは「啓蒙」及び「弁証法」のすばらしい比喩になっています。以下これについて述べます。「主人公の名が「オデュッセウス」です。トロイア戦争が終わって故郷に船で帰る途中、「セイレーン」という人魚の魔女がいる海域を通ります。「セイレーン」は美しい歌声で歌い、それを聞くと、知らず知らずのうちによからぬ方向に進路を変え座礁してしまいます。そこで「オデュッセウス」は一計を案じ、船の漕ぎ手にはロウで耳栓をして歌を聞こえなくします。そして自分は「セイレーン」の歌を聞きたいために、耳栓はしないで、その代わりマストに縛り付け動けなくします。この対策により、魔の海域を無事通り過ぎた。という話です。それではこれのどこが弁証法になっているのか考えましょう。まず、「セイレーン」の歌声を聴くと座礁するということがあり、これの対策として「理性」を働かせ、耳栓と体を縛るということで対応しました。この結果、座礁することなく無事海域を抜けました。これが問題に対する対策で「理性」の勝利を示しています。弁証法的です。漕ぎ手はどう解釈できるでしょうか、漕ぎ手は、理性の名のもとに感覚を遮断され、命令に従って機械のようにひたすら漕ぐ主体性を失った存在です。一方、「オデュッセウス」は知識や理性を持つが、身体を縛られ、自らは行動できない、叫ぶことはできるが、部下は耳栓をしていて彼の言う事に従わない。つまり理性はあるが、一旦目的のために動いた状況を変更することはできない指導者です。また「目的」のために主体性の無い人を積極的に作った本人でもあります。「セイレーン」は、歌声ですの芸術の象徴です。そしてその芸術の力で人を惑わせますが、船は無事海域を出ます。つまりセイレーンの企ては失敗します。これは「芸術の無力」を表しています(アウシュビッツではドイツの将校が昼間は大量にユダヤ人を殺害し、夜はゲーテを読んでいる。この話も芸術の無力さを語る話です)。これらから次のような解釈をしています。「「弁証法」的に「理性」を使って海域を無事抜けるという「目的」を達しますが、「目的」のために主体性を失わせた。そして芸術は主体性を取り戻すことに役立たなかった」。つまり「理性の光が強いほど影も強い」と言うことです。
これは現代も同じです。スマホやAIが発達し便利になりましたが、考えない人や攻撃的な人を作っているとも言われています。
後でも述べますが、「弁証法」は一見完全な方法のように見えますが、「目的論的」です。「目的」は達するが「人の主体性」を失ってしまう。そういうことが起こりがちです。

プログラムの展開例

2025.07.28のblog「痕跡1」の「対象の動きに応じて変化させる方法」の節があります。ここで次のことを述べています。再録致します。
「TouchDesignerのインスタンシングという操作に対して、少し問題があると思っており、その対策を検討する中で作製したキャラクタ―です。TouchDesignerはGeometry COMPを使ってインスタンシングすると同時にそれをrender TOPによって2次元化します。インスタンシングというのは、例えば一つの木をつくっておいて、それをある図形を構成するポイントにそれぞれ生やす役割です。この時、大きさや回転角等をそれぞれ変えることができます。たまに直面する問題が、インスタンシングして何かが複数取り付けられた3次元形状を作製し、それを一つの塊として、これを別の図形にインスタンシングしたいという場合があります。残念なんがらこれを行う方法を知りません。つまり1度しかインスタンシングできないように思うのです。」
これは何を言っているかというと、例えば球を構成しているポイント全てに細長い直方体を付ける時、球のポイントの座標を得て、直方体を全てのポイントに割り付けます。これがインスタンシングです。しかしこれをすると出力が2次元になります。そうすると、直方体を生やした球を別の平面の全てのポイントに貼り付けることができないのです。なぜならインスタインシングは3Dで行う必要があるからです。つまりインスタンシングは1度しができません。これが問題です。これを解決するために取った方法が、
「この問題の解決策として、最初copy SOPによって対象のポイントに割り付ける操作をします。インスタンシングと違うのは、copy SOPでは、一つ一つのサイズや回転角を変えることはできません。しかし、同じものを対象に複数配置することはできます。copy SOPを作用させた後も3次元形状であるので、これをある形状全体にインスタンシングすることはできます。これにより、ほぼ2回インスタンシングしたのと同じ状態が作れます。」
つまり1回目はインスタンシングの替わりにcopy SOPを使うという手法です。この方法で作製した図を示します(映像を見る場合はblogの名前を書いておき間ますので、そちらを見てください)。

2025.08.05「痕跡1」

2025.09.06 「線形操作で生じる予測不可能性」

2025.12.24 「Copy:生物の動きの模倣」

copyとインスタンシングの組み合わせで作製していると、これが生物的であるように思えました。そこでより生物的な何かを作製しようとしました。これが、2025.12.24のblog「Copy:生物の動きの模倣」内で紹介した生物っぽい次の形状です。

Copyとインスタンシングによって生物的な形状ができたので、「生物は繰り返しの操作でできているのかもしれない」、という思いをより深くしました。また私は化石が好きで、古生物の三葉虫やアンモナイトが、実に様々な形状があり、これが凄く複雑な操作の結果ではないように思っています(全然違う操作で生み出されているのであれば、同じ三葉虫やアンモナイトと呼ばないだろうと)。僅かに何かが違うことで形が大きく変わるのではないか、と勝手な見解を持っていました。そこで上の生物的な画像に、僅かな関係を与えると、あるいは関係を除くと、形状が大きく変化する現象を探しました。その結果形状を大きく変化させる現象が見つかりました。これについては近く別のblogをアップします。今回は作製した形の変形例(亜種の例)を示します。

次に節でこの一連の流れを解釈してみます。

「弁証法」ー「地平の融合」ー「オートポイエーシス」

2回以上連続してインスタンシングができない、という問題に対して「理性」によって、copy SOPしてインスタンシングするという方法で解決しました。これは「弁証法」の一形態です。次に、作製した映像が生物的に見える要素があったので、生物がcopyで創られていることを思い出しました。この知見は私がプログラムを書く前に持っていた知識で、2026.01.11の「地平の融合」で書いた「地平」にあたります。これと「copy+インスタンシング」という得た知識と融合させ、生物の形状を作りました。これはガダマーの「地平の融合」と言えます。そして、さらにこれが少しの違いでcopyやインスタンシングの方向が変わり、これによって亜種が作れるのではないかと思い、幾つか試すことで大きく変化する現象を見つけました(試すのに先立ち三葉虫やアンモナイトに様々な形状があることを知っていました。これは「地平」です)。これは、生物的な映像という入力をきっかけとして新たに異なる関係を見つける私を含めたフィードバックを形成するので、「オートポエーシス的」です。「地平の融合」では私の持っている地平に別なものが外からやってきます。一方「オートポイエーシス」は全て内的で生物的に思えた関係性が誘発して別な何かと関係付けていきます。このように、「弁証法」ー「地平の融合」ー「オートポエーシス」とプログラムは展開して行きました。このように解釈できると思います。
こうした展開は、研究・開発ではしばしば生じるプロセスです。しかしもし「copy + インスタンシング」を見つけた段階で、これを多用した仕事になると、せっかく生物に対して広がった発想は使えず、ストレスになっていきます。しかしモノにするには一つのことを磨く必要もあります。結局どちらも必要なわけですが、方法論を展開していくことで、新たな創作につなげることも重要です。
「弁証法」は「目的論的」で「意味論」の要素は少ないと思います。一方「地平の融合」は新たな意味付けを行います。そして「オートポエーシス」は寧ろ誘発により次の展開に結びつき「創発的」です。このような性質の違いを上手く活用したいところです。「弁証法」は方法論でもありますが、「地平の融合」は解釈であり、「オートポイエーシス」は創発現象です。しかし工学的には方法論として使うことは十分可能です。
またこれらと大きく違う考えの方法論に、最小情報原則があります。これについてはまた後日述べたいと思います。

まとめ

「弁証法」は問題解決のための強力な手法です。しかし主体性を抑圧する可能性があります。一方問題そのものや、問題解決した結果を別のことと結びつける「地平の融合」は新たな意味を創り出します。更に他の何かと関係性のフィードバックを作る「オートポイエーシス」になると、創発につながり、新たな展開が開かれる可能性があります。思考方法の展開を意識してblogを書いて行きたいと思っています。

コメント