はじめに
2026.05.02の高分解能1では、何かに対して考察する場合、多面的な見方ができることを「高分解能」という比喩を使いました。そして私の主張として、「濃密に過ごした時間や経験もまた、高分解能となり、考察する際に再生できる」、という側面を指摘しました(体験的にそのように思う、と言っているに過ぎません)。今回はこの「高分解能」という考えの続きです。Monogokoroでは、個人的な興味からそれをプログラムにして、「へー、こんなことができるんだ」、とか「こんな展開ができるんだ」、「こんな、共通点があるんだ」、そういった驚ぎを記録しています。個人のblogですのでそれでいいわけですが、しばしば公開することで、「これが何かに役立つのか?」と思います。今回はそうした自問自答に対して、こういう側面があるのではないか、ということを述べたいと思います。
高分解能
これまで90件のblogを書いてきました。今回91件目です。しばしば過去書いたblogを参照することが多くなってきて、共通性を認識する場面が増えました。例をいくつか挙げてみます。

これらは過去書いたblogから引っ張ってきた画像です。copyして作るということに共通性を持っています。平面図形や、立体図形、生物、都市、といったオブジェクトの中にcopy現象を見つけることができるようになってきたのです。

この図では、「ノイズテクスチャー+ボロノイテクスチャー+ノイズテクスチャー及びディスプレイスメント」の組み合わせが、非線形の模様を作りだすことを見つけたことをきっかけに展開した画像です。古代都市を思い、AIを使って詩を書いたり、中世の街や花壇の「見立て」に展開しました。「何だこの画像は」という偶然から、具象に展開させることであり、都市や花壇の画像から非線形性を読み取ることでもあります。

この図は人工生命と呼ばれているプログラムを様々な例に展開したものです。conwayやL-sytem, boids等の古典的な人工生命から出発して、「擾乱を伴う反復系」、「オートポイエーシス」、「代謝」、「発振」、「コピー」と複数の側面から人工生命を捉えています。もっと他にも人工生命的なプログラム例はありましたが、1枚にまとめるために数を抑えています。これらによって、生命現象の背景に、「擾乱を伴う反復系」をはじめとして、上に挙げた側面を見て取ることができるようになりました。
このようなことが結局何なのかということですが、大げさに言えば、世界を高分解能に見る側面であり、知る前より深く観ることにつながった、と思います。そしてそれは何かというと、小説や歴史を学ぶのと同じく、「教養」ということになるのではと思います。「物事を考えるベースを豊かにしようとする試み」、ということです。それが私個人だけでなく、読み手にも影響があれば、と願っています。
まとめ
しばしば思う、「blogにして何の役にたつのか?」という疑問に対して考察してみました。個人的には考えをまとめる行為であり、役立っていますが、公開することに対する意義です。これについて、「高分解能」な見方を紹介することにつながり、「教養」として役立つのではないか、という一応の答えを得ました。読んでくださっている方が、そのように思ってくださると幸いです。

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