西洋存在論の源流

存在論

はじめに

Monogokoroでは存在論を何度か扱ってきました。blog「梵我一如1, 2」を書いた時、東洋思想の存在論の原初に触れたわけですが、西洋思想の存在論の原初にはまだ言及していないな、と思いました。そこで今回この話題を取り上げます。特にパルメニデスは、私がよく活用している「背後には何があるのか」を問うた最初の方だと思います(参考:2025.09.08「構造主義の観点 背後に何があるのか」、2025.07.27「暗黙知の次元2」)。活用と言う意味では、「隠されている」という考えを持ちつつ、時間性を取り入れるハイデガーのほうが随分と利用しやすい存在論です。しかしハイデガーは遥か遠くの時代のパルメニデスの影響を受けています。存在論の原初と現在との違いを考察することで、工学的な応用につながるのではないかと思います。

原初の存在論

物事の体験や経験, 感覚から、「万物は流転する}(ヘラクレイトス)という結論を導くことはできるでしょう。日本でも方丈記はそうした代表と言えます。この「万物は流転する」と言う考えは、人間の感覚を使った観察による結論です。人が世界を観る見方はそれだけだろうかと考えた人がいるだろうことは、現在の視点からは想像できます。それがパルメニデスです。感覚を排して理性のみによって結論をだそうとする姿勢です。彼は「存在するものは存在し、存在しないものは存在しない」、と述べています。これは「在る」と「無い」は決して両立しないことで、論理学の最初といった響きがあります。恐らく体験や観察でなく、論理的な展開で真理に至る道を探そうとした最初期の方でしょう。そしてあらゆるオブジェジェクトの共通点を指摘しています。それぞれのオブジェクトはそれぞれの特徴や機能や形を持っていますが、その共通点が「在る」ということです。真に慧眼です。西洋の「存在論」の始まりを感じさせます。「梵我一如1」では、アートマンは元々「呼吸・生命」と言った意味があり、ブラフマンは「言葉」と言った意味があったことを述べました。ウパニシャッド哲学はここから遥か遠くに飛翔していきますが、体験や経験が元になっているでしょう。そうではない見方を提示したことに大きな意味があります。理性で突き詰めていった先が、後にプラトンの「イデア」になり、そしてそれぞれのイデアの元があるとするのがプロティノスの「一者」です。そして随分時代が空いて、現代哲学のハイデガーにつながります。ハイデガーは「死」を意識するということで、経験や体験、意識が変わることを述べており、経験や体験も重要視しています。また歴史的・文化的背景の時間性・地域性も強調しており、プロティノスまでの系譜と随分と違います。しかし引継いでいることもあります。それが、「背後に何かある」「隠されている」という思想です。「万物は流転する」は開示されているものを観測して結論を得る見方です。しかし存在論の系譜の方々は皆、「背後に何が在るのか」を問うています。その背後に潜むフレームを「存在」と呼んでいるのです。そう思うと、それを指摘したパルメニデスは偉大です。

もう一つ指摘するなら、パルメニデスの「存在」やプラトンの「イデア」、プロティノスの「一者」は「変化しない」「永遠」「完全なるもの」として語らてきました。彼らの真理は「すでに完全で、変化の余地のないものです」、つまり時間の外にある存在です。我々時間の流れの中に生きている存在は、時間を超越することはできません。プロティノスまでの存在は「隠させた世界」は時間の外にあり、決して人間には到達できません。つまり層が違う所に在るのです。ハイデガーは「隠された存在」の概念を引き継ぎながら、歴史的・文化的背景である時間性を取り入れました。現代人から言うなら、時間を超越した「永遠」の真理はナンセンスです。なぜなら、我々は時間の流れの中で生き、変化しています。いかなる理論も不変なものではなく、更新されれ行くという現実を突きつけられてきたからです。古典力学が相対論や量子力学に包含されていくようなことです。現在真理と思われる新しい理論もまた、次の時代には包含されるより広範囲を説明できる理論に含まれる運命にあります。不変の真理などありません。しかしそれでも尚、不変の真理が在るとする考えは重要です。どういう重要性さかと言うと、それは「北極星」です。現代では真理と思ったモノも更新されて行きますが、こうしたより包含していく理論は「北極星」を目指し、そこへ漸近させようとしている、とは言えるでしょう。

パルメニデスの存在の例(空想)

パルメニデスは理性によって真理に達することを述べましたが、それはどんなことを指しているだろうか、空想します。以下はこれに対する私の私見です。
例えば、直角三角形のピタゴラスの定理です。現代では非ユークリッド幾何もありますので、これはかならず成り立つわけではありませんが、ユークリッド空間の枠内では成立します。現代人にとっては、真理は更新されていくわけですが、長く永遠普遍の地位を持っていたでしょう。電磁気学にはマックスウェルの方程式があります。学生の頃は永遠普遍だと信じておりました。現在ではマックスウェルの方程式でさえ、ブラックホールの近傍のような重力の極端に強い領域では成り立たないと言われています(私はその理論を理解していません)。「更新」と言う時間性の無い世界を信じていた当時は、こうした法則は理性によって到達する真理であったのではないでしょうか。

映像について

概念を紹介するblogに使う映像は、なかなか考えるのが難しいですが、ピタゴラスの定理のような幾何学的な模様を作製することにしました。これもユークリッド空間の範囲の中ですが、こうすれば、かならずこうなるといった性質をもっています。copy SOPによって作製しています。映像を見てください。

三角形の形を作製しておいて、これが大きくなったり小さくなったりします。それを多角形の頂点にcopyするという単純なプログラムで作製しました。多角形の形状を時間と伴に可変にしています。Touchdesignerによるものです。こうした幾何学的な図形は幾らでも作れます。作製方法は簡単ですが、できた映像は調和が感じられ、なかなか美しい幾何図形になることが多いです。この映像を見て、そこになにがしかの「理」があると感じます。この例はこれだけになりますが、ピタゴラスの定理のように、それが、この場合にも、あの場合にも成立しているとなると、真理だと思えたでしょう。「「背後に隠された何かがある」とする考えが、人を引き付ける」というのは、「真理」なのではないでしょうか。

今年はこれが最後のblogです。今年の5月から何とか書き続けることができました。読んでいただける方がいらっしゃることに感謝しています。良いお年をお迎えください。

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