イマージュ

イマージュ

先回モノとのコミュニケーションの例を述べました。私はモノとのコミュニケーションの中心となる概念にイマージュがあると思っています。そこでこれについて述べておこうと思います。ベルグソンが述べた概念ですが明確にイマージュとはこうである。という定義はおぼろです。いろんな人がいろいろな解釈をしており、明確ではないように思います。ここでイマージュについて話しますが、私の解釈が入っています。寧ろ、様々な方が議論することで深まっていくような概念であるように思います。
「イマージュは、現在の体験の感覚に、過去の体験が流れ込んできているとする考え、未来の空想に、現在と過去の体験が流れこんでいるとする考え、そして、架空の物語に、現在と過去の体験と未来に対する空想が流れ込んでくる、という考え」である(私の解釈)。現在が起点になること、見る側見られる側というように分けないのがポイントです。例を使って説明したいと思います。

1.プルーストの小説「失われた時を求めて」はイマージュについて書いてあると言われています。これは過去の体験が現在に流れこんでいるというよい例です。紅茶を飲んでマドレーヌを食べた時、それをきっかけで過去の膨大な記憶を思いでを蘇らせています。映画でいうなら、紅茶とマドレーヌを食べている現在のシーンから、子供のシーンになって、大人になるまでの話が続いていくような話です。思い出しているのは今であり、過去の思い出が今解釈され、そしてまた過去の思い出に入っていく、だから過去の思い出は純粋に過去の出来事かどうかわかりません。つまり、現在の解釈が入りながら思い出され作られていきます。こういう意味では過去は現在が作っているのです。フィードバックになっています。
2.過去と言っているのは、自分が体験した過去のことだけでなく、歴史的・文化的背景も指し、それが私に流れ込んでいる。例えば桜の花を見る時、その美しさだけでなく、儚さを感じるというのは、文化的な背景があるからです。そして、歴史的・文化的な背景が流れ込んできた今の目で、また桜を見て解釈が生じている。桜を見た時に、誰かと見た桜のことを思い出したり、武士がこれが最後と桜を見る映画のシーンを思い出したりして、それらをないまぜにして現在見ているわけで、ここでもまたモノとのフィードバックがあります。そもそも言語を使って考えるということは、言語の構造、歴史的文化的背景の影響を受けています。そしてその言語もまた、流動的で変化する存在です、そして、その変化の仕方は「未知」で予測できません。
3.未来を空想することも、現在と過去が流れこんできています。未来の空想に現在の影響が大きいことは言うまでもありませんが、過去の体験や解釈が変わると未来像も変わります。例えばマルクス主義が素晴らしいと考えていた時代の未来と、そうでないと考えるようになった時代の未来像は違っているでしょう。このように過去のできごとと現在とが相まって未来を空想しています。この空想したイメージもイマージュです。ここでも現在との間でフィードバックがあります。
4.物語や神話等も現在に流れこんできて、自分の考えや空想に影響を与えます。物語は実際に起こったことや事実でない場合も多く、決して事実を積み重ねたものではありません。しかしこの空想が、豊かなイメージを作っています。こうした物語や神話を思い出しながら今を解釈しているのもイマージュです。ウルトラマンも仮面ライダーもいて、影響を与えていると言えるでしょう。余談ですが、科学技術偏重に対する批判はここらへんにあると思います。測定できるデータの積み重ね、つまり事実の積み重ねばかり重視すると、物語を作る空想の力がしぼんでしまうのです。ネバーエンディングストーリはこの話を扱っています。物語や神話も現在の自分とフィードバックがあるのです。

ポール・ヴァレリーの詩を上げておきます。
「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく。
目に映るのは過去の風景ばかり、明日の景色は誰も知らない」
ベルグソンのイマージュと響き合っているように思います。

モノや出来事がきっかけでイマージュが広がっていくのは、その人の背後に隠されている膨大な情報と作用するからです。オートポイエーシスという考えについてまだ説明していませんが、オートポエーシスもまたこうしたフードバックの中で組み変えがおこり、新たな何かが生み出されていくという動的な考えです。共通性があるように思います。恐らくインターラクションの本質は、体験を通じて、イマージュを誘発することでしょう。これまでに述べてきた非線形性の話は、「未知」を作るきっかけを与える手段の一つです。モノとコミュニケーションをしながら作製していくことや、背後に隠されている膨大な情報と作用して現在に影響を与えるという考えは、人はモノ事を客観的に見ることが大切という考えを否定しています。私自身はベルグソンの考えのほうがしっくりきます。

プログラムを書いたりモノを作ったりする人は、日常的に練習をしています。特にプログラムは使い方が多く苦労します。次に紹介する映像は、blenderで植物を描いたり、blenderで動かしてた映像をTouchdesignerにどうして移せばいいのか、とか、映像の移り変わりをどのように見せればよいのか、等を考えていた時の映像です。2つの映像はセットです。ます自由に見てください。その後どう思って作製したかを話すことにします。少しわかりにくいかもしれません。本当はこの2つの間にもう一つ入れるつもりでした。しかしそれを作るのが難しくてできなかったのです。

人型のキャラクターは「イネボー」という私が考えたキャラクターです。日照りの際に稲を背負って救いにやってくる妖精です。体は水でできています。稲を背負ってやってきて、乾いた大地に、ドシャを倒れ込みます。そうして背負ってき苗をばらまきながら、自らの体をはじけさせて水田を作るという存在です。2つ目の映像は、イネボーによって乾いた大地が実ることを表した映像です。ドシャと倒れて飛び散らせるところを描きたかったのですが、難しすぎました。
私は、古代文明がどうして滅びたのか、といった話が好きで、当時もそういう話を読んでいたと思います。干ばつで滅びる文明は多いのです。blenderやTouchdesigerの使い方の練習と相まって、こうした映像を作ったように思います。今これを見ると、最近コメの値段が高いので、イネボーが来てくれるといいなと思いました。イマージュの観点から見ると、私の興味とその時に状況が作用しあって作っていることが分かります。そしてちょうど現在、コメの値段が高いのでこの映像に、干ばつから救うたためでなく、値段を下げるために、と再解釈しているわけです。これらは全てイマージュと関わっています。モノとのフィードバックの連続でできています。モノとコミュニケーションしているのです。

それからもう一つ重要な点があると思います。それは「未知」についてです。「未知」は哲学では「他者」と呼んだりします。私は上の映像をプログラムしている人であるので、全体が分かっているはずで、そうならば「未知」は無いように思うかもしれませんが、そうではありません。実は最終的な姿が分かって作製しているのではないのです。こう書けばこうなるし、こうすれば、こんな風に見える、こっちのほうがいいな、とか、モノとコミュニケーションしながらそのつど、その場で変わっていっているのです。決まったゴールに対して目指しているのではありません。作り手に取ってモノは「未知」で「「他者性」を持っており、コミュニケーションを取りながら作っているのです。これは、これまでのブログで述べてきた、非線形性が「未知」を作るのと共通しています。モノとのコミュニケーションと未知(他者性)は非常に密接に関わっているのです。

それでは、極簡単にプログラムいついて触れておきます。イネボーの人型はblenderで作製しています。人型にボーンを入れて手足を動かす練習に使っておりました。これをfbxというファイル形式で落とすと、Touchdesignerでも手足を動かすことができるようになります。blender と連携するための技術です。稲の形状もblenderで作製しました。これはobjというファイル形式に落としてTouchdesignerで使います。objはメッシュ形状だけのファイルです。形だけ移す場合に便利です。fbxでは形状はもちろん、テクスチャー(表面も模様に対応)も反映させることができるし、ボーン自体は移せませんが、位置や回転をさせるオブジェクトに反映させて移せます。しかし動きのコントロール自体はblenderを反映せず、Touchdesignerで再度設定する必要があります。これは改善してほしいところです。イネボーの頭と体が凸凹に動いていますが、これはblenderのディスプレイスメントに相当する技術です。Touchdeigenrではpbrというマテリアルの設定の中のheightマップを使って行います。この部分のプロブラムを次に示します。

中程に円形の縞模様があります。この縞模様が回転しているのですが、これがheightマップで、この縞模様の回転が映像ではイネボーの凸凹の動きに変換されます。少々ややこしいですがTouchdesignerではdisplace TOPというオブジェクトもあります。これも使っておりますが、こちらは平面図形を揺らす働きです。これも揺らす数値データをいったん白黒の濃淡に変換してから適用するため、色を揺らぎに変える働きをしています。色を使って変形する技術はblender、Touchdesignerいずれも素晴らしいと思います。

イネボーが遠くから近くにくるように見せるために大きさを変化させています。これと同時にイネボーがしょっている稲も大きくしています。別々に作っておいて関連を持たせるのがプロシージャルという考えです。

稲が生長する映像でも上と同じ稲のobjファイルを使っています。この稲をインスタンシングという複数配置する技術によって並べています。「量と質の変換」の時のブログで、植物をアレイに配置していますが、この時に使った技術もこれです。稲が生えてくる大地のテクスチャーですが、これにもpbrを使っています。これには色情報であるcolorマップ、表面の凸凹を表すnormalマップ、そしてい色を凸凹に変形するheightマップを使っています(あまり凸凹になっていないのはheightマップが全体的に黒いからです)。これらのマップを使うと質感が出せます。大地がむき出しの状態では暗く、稲が生長するにしたがって全体を明るくするようにしています。そして成長した状態が一番明るく、この状態を維持し稲穂を揺らしています。こうしたそれぞれに関係性を与えることがプロシージャルの考えです。

音楽はSoundrawというAIのサイトで作製した曲です。

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