純粋経験
純粋経験はプラグマティズムで有名なウィリアム・ジェームズが述べています。プラグマティズムは客観的で不変な価値があるとする考えや、証拠がないと真理でないとする考えに対して、別の考え、「ものさし」を導入します。それが、役に立つことが真理だとする考えです。役に立つかは人によって違い、またそれを概念や観念にも適用しました(ジェームズ自身も「観念は経験の流れの中で生まれ、役立つ限りにおいて真理である」と述べています)。真理の相対性を説いた思想と言えます。そしてまた役立つかどうかは変化するので、流動的な真理でもあります。また心を乱すようなことも、役立つ方向に向かうなら真理だとしています。真理は絶対不変とする考えと大きく異なっています。こうした思想の中で、純粋経験を捉えるのが良いと思います。彼の言う純粋経験は経験した直後でまだそれが言葉によって切り取られる前のことをさしています。従って判断や概念化も行われていない段階、意識化されて価値の有無が発生する前の段階です。このため主客分離されていません。これが分離されていって、その個人にとって有用かどうかにつながっていきます。ジェームズの主客未分に影響を受けた西田幾多郎も純粋経験という言葉を使っています。彼の意味はもっと広く、主客未分の状態の経験を指します。いい変えると、物事に没頭して一体化された体験のことです。例えば音楽家が演奏に没頭している状態、映画の主人公と一体になった状態、登山者が断崖をよじ登る集中状態等です。私にとっては、純粋経験はジェームズ的で、体験した時の「オー」」とか「ワー」とかの驚きの感覚で、それは「始まりの根源」だと解釈しています。その体験によって何かを始めようとする、そのもとの感覚、プラグマティズム的に言うならそれは切っ掛けを与える有用な体験であると思っています。純粋経験から何かしようという気持ち、すなわち志向性が生じるということは、言葉にならない体験が、問いや意欲、認識の再構成につながった、ということでもあります。西田の示す没頭している状態のことは、純粋経験もいいですが、「没頭している状態」と言ったほうが分かりやすいと思います。
純粋経験の例
ジェームズの純粋経験について考えた例とその意味について検討致します。
机に上にはパソコンがあり、お菓子があり、鉛筆があり、人形があり、おさらがあり、・・・となっています、それに対して特になにも注意をはらわず、パソコンを打っています。これは通常です。パソコンを打つ内容に注意を向けています。テーブルには様々なものがありますが、意識に上っていません。しかし肘がコップに当たってこぼれたとすると、とたんに、人形をどけなきゃ、お菓子をどけなきゃ、パソコンがぬれるとか・・・意識にのぼり分節されていきます。コップが倒れる前後で、大きく認識の世界は変わってたのです。こういうことを利用して、意識させる状態を変えるというのが、重要な点だと思います。
純粋経験のオートポイエーシス的解釈
上に挙げたびっくりした時というのはわかりやすい例ですが、より創作へ展開したいと思います。先回のblogの動画を見た時にも、「オー」という感じがあり、それに対応する様々な意識が立ち上がり、統合されていき。詩を加えようと思ったのです。こうした、純粋経験が切っ掛けとなって次の創作につながる場合があることを特に関心を持っています。この現象をオートポイエーシスとして解釈してみたいと思います。オートポイエーシスについては、2025.08.26のblog「ポストモダンと「擾乱を伴う反復系」1」で軽く触れています。自分で自分を再帰的・循環的に作りだしていくシステムのことです。作り出すことを産出と言います。システムが受ける外部からの刺激を擾乱と呼びます。擾乱を受けてこれをきっかけとして再帰のフィードバックが再構成され、その結果として新たな産出が生じます。オートポイエーシス的に解釈すると、純粋経験は擾乱にあたります。この擾乱を受けて私の内部の意識が再構成されます。具体的にいうなら、Touchdesignerで非線形の入力映像を、再帰的にフラクタルを作製するフィードバックシステムに加えた時、その出力として、痕跡の動画が表れたという状態です、これをみて、「オー、風か波のようだ」と感じたのが産出された気持ちです。これをきっかけとして、私の中では、動画より静止画でみせたほうがいいのでは、とか、言葉を加えたらどうか、とか過去の別の体験が立ち上がり統合されていき、静止画に詩を加えよう、となったということです。これらは動画を見る前は意識にのぼっていなかったことで、純粋経験である擾乱を切っ掛けとしてオートポイエーシスシステムが立ち上がった結果、産出されたのです。これは論理を合理的に組みたてていく手法とは、全く違うアプローチで直観的です。
今回のblogの表紙は、2つ前のblog「 「映像の相転移」 ・・・」と同じ作製方法です。入力画像が、2025.06.29「文学的な関係性・・・」の2つ目の動画になっているだけです。「なんだこれは」という感覚があり(純粋経験)、夜の海に夜光虫が現れたようなイメージが立ち上がりました。そこで、次にAIのCopilotに船の絵を加えていただきました。こうしたきっかけが次のきっかけになるのもオートポイエーシス的です。創発を促すようなシステムを考えていきたいと思っています。


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