はじめに
Monogokoroでは進行中の哲学として「オブジェクト指向存在論」を何度も取り上げてきました。例えば2025.10.17のblog「AIとオブジェクト指向存在論2」等です。オブジェクト指向存在論では、あらゆる存在はオブジェクトです。人間、犬、惑星、概念、時間、国家・・・全てオブジェクトとして等しく存在しています。人間を世界の中心に捉える人間中心主義ではありません。このように、人間中心主義でない進行中の思想として、最近、ブルーノ・ラトゥールの「アクターネットワーク」があることを知りました。これ使ってプログラムや日常を鑑みると、より感性的になり、Well-beingに適した哲学だと思いました。今回「アクターネットワーク」について考察してみます。何分付け焼刃なので、正確さにかけることご了承ください。
バレットソルバーの例
TouchDesignerでは、Bullet Solverと呼ぶオブジェクト間の衝突をシミュレーションする物理演算を備えています。例えば、2026.02.22の「ディスプロポーション」はBullet Solverの例ですBullet Solverでは登場するオブジェクトをactorと呼び、actor同士の関係を結んでいきます。「ディスプロポーション」の例では、ボールとお椀が登場しますが、どちらもactorで行為するオブジェクトです。Bullet Solverを使ったラビリンスゲームの例を次に挙げます。これはYouTubeの「https://www.youtube.com/watch?v=T3nFtdF5GyQ」を踏襲したもので、Bullet Solverの練習として行ったものです。私のオリジナルは入っておりません。
プログラムそのものは、上のYouTubeを参考にしてください。ここでのactorはボールと壁と壁を支える基台です。そしてもう一つ、マウスでラビリンスを動かす私もアクターです。ボールは転がる行為をするアクターですし、壁は跳ね返る行為をするアクター、壁を支えている基台は支えるアクターですし、私はボールをコントロールする行為をするアクターです。これらが関係し合いながら、このゲームを行うので、これらはアクターネットワークです。この考えは非常に素直です。しかしアクターネットワークで呼ばれているアクターはこれだけではありません。アクターネットワークの考えを知ると、この状態をもっと豊かにみることができます。それを次の節で述べます。
ラビリンスゲームのアクターネットワーク
アクターネットワークでは、人間、モノ(道具、機械、ソフトウエア)、言説(アイデア、計画、意図)、ルールや状況、これら全てが「アクター(行為者)」として扱います。上の例のように、登場人物だけではありません。アクターは「意図を持つ存在」ではなく、「他のものに影響を与え、行為を引き起こす存在」です。この観点から少し細かくアクターをみてみます。
1.「blogにアクターネットワークを書こうと思った」:この思いつき(アイデア)が私を動かすので、この思ったこともアクターです。
2.「TouchDesignerのBulllet Solverがアクターを扱うことを思い出す」:これを思い出すことで、blogの例に使えると思った、これも行為に原動力ですので、アクターです。
3.「Bullet Solvorの例で、人が動かす例がより適していると思った」:人参加型の例が良いという判断を行い、選択・行動の行為になった。これもアクターです。
4.「以前に行ったYouTubeのラビリンスゲームを思い出した」:YouTube動画が記憶の中で再び私を動かしました。これもアクターです。
5.勿論プログラムに登場する、ボール、壁、基台、動かす私、はアクターです。
これら全てがネットワークを形成し、「私が今blogにこのラビリンスゲームを紹介する」という行為を生みだした、というわけです。
これを、blogにアクターネットワークのことを書こう、と思ったことをきっかけとして、それまでなかった、ここで挙げたネットワークが形成して、今blogを書いている、というように解釈するなら、これは「オートポエーシス的」と言えます。
また、私が主体的にそうしよとして、ラビリンスゲームを再びプログラムしたと言えますが、これはまた、blogを書こうとする状況が私をラビリンスゲームのプログラムを踏襲させた、とも解釈できます。つまり「誰が主体か」を単純に決めることはできません。「主体性はネットワークの中に分散している」と言えるでしょう。ネットワークが行為したと解釈できます。このような解釈は、私がラビリンスゲームを真似てプログラムしている、という解釈から、非常に広範囲のネットワークが私を包みます。この感覚は心地よく感じます。
アクターネットワークの例
Bullet Solverから展開したアクターネットワークを考察して、アクターネットワークは日常にあふれていることに気付きました。そこでシーンを幾つかAI Copilotに描いてもらいました。紹介致しましょう。

この図は、少年が公園でボールを壁に投げて、跳ね返ってくるボールをキャッチしているシーンです。少年、ホール、壁、地面は勿論アクターです。この他にも、この少年が、野球を上手くなろうと思ったこと、近く試合があるのかもしれません、それからボールを投げる時は、好きなプロ野球のピッチャーを想像しているいかもしれません、また壁に反射したボールは、ライバルのバッターが打ったことを想像しているかもしれません。こうしたこと全てが、この少年の行為になっています。つまりアクターネットワークです。このように思うと、見る側の想像性が問われている印象も受けます。
もう一枚例を挙げておきましょう。

この図は、少女がお母さんと菜の花畑にきている様子を表しています。Copilotに描いてもらいました。少女はとても楽しそうです。少女、お母さん、菜の花畑、青い空、こうした登場人物は勿論アクターです。他にも、今日ここにくることを待ち望んでいた少女の気持ち、良い天気で気持ちの良い暖かさ、広々とした感じ、お母さんと手をつないた安心感、親子の日常的な関係性、お花畑のイマージュ、こうした全てがアクターネットワークを形成し、この少女のうれしそうな行為に繋がっています。これら全てがアクターです。
感想
アクターネットワークを考察するなかで、「身体を通じた理解」と関係していると思いました。それは、様々なアクターで構成される結果が行為になり、行為者として私やあなたを想像できるからです。私はハードウエアのエンジニアでモノを作製してきたので、常に身体性を意識してきました。今回、プログラムやAIとのやり取りにも、身体性を感じました。またアクターネットワークの考察を通じて、この日常が素晴らしい気が致しました。アクターネットワークの全体の中で思考が立ち上がる感覚が心地よく感じます。これはWell-beingにとてもよい哲学ではないかと思いました。全体の中の一部というと、何か歯車のような働き・機能を思い浮かべますが、アクターネットワークにはその感覚がありません。また「主体性はネットワークの中にある」とする考えは、主客未分です。人間中心でない点と主客未分であることからも、現代的な思想です。

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