はじめに
2026.03.29のblog「生物の形の模倣3Copy再び:POPを試す3」で生物のヒドラをイメージして生物的な形を作製しました。そして先回の「粒子を描く:POPを試す5」でそれを粒子化して動かしました。作製した映像を見て、砂に刻印されたような、化石になった印象を持ちました。すると次に、閉じ込められた生物(ハリコルゲ)がそこから出ようとしている様子を映像にした、2025.06.14のblog「プロシージャル3「創発的関係性」」を思いだしたのです。これに似せて、ヒドラが閉じ込められた状態から逃れようとしている映像が描けると思ったのです。そうすると、2つ前の「モノの形状が作る場:・・・」の粒子を背景にしてヒドラを描くと、場から逃れようとしている、あるいは場に向かっていく様子が描けるし、背景を2025.07.28「痕跡1」の毛ガメのようにすると、海の中泳いでいる映像になる、と思いました。背景との組み合わせを変えていくのです。そして更に、作製したキャラクターで物語を作った2025.11.07の「ナラティブ・パッケージ1」も思いだしました。このようにイマージュの連鎖によって、ヒドラのナラティブが作れます。「ナラティブ・パッケージ1」を読み返してみると、私が勝手に名付けた「パッケージ」という言葉が、何を指しているのか語っていませんでした。この時はまだ漠然としていたのでしょう。そこで、これについて考えてみました。神話学者のジョーゼフ・キャンベルの「生きるよすがとしての神話」を読んだことがあります。神話にはパターンがあるという話で、オーソドックスなのは主人公の成長ストーリです。そして現代の成功した映画等もこのパターンを踏襲している、という話です。これは物語の構造と言えるでしょう。「ナラティブ・パッケージ」は物語の構造ではなく、物語を創り出す操作セットです、これは探求しても面白そうだと思いました。例えば「ナラティブ・パッケージ1」では。クルマで走行して複雑さパラメータを抽出し、それをもとにエフェクト処理して絵を描きます。そしてその絵をAIによってキャラクター化し、そのキャラクター達を使ってAIによって物語を作ります。この一連の操作をパッケージと呼ぶわけです。そうすると、今回は一つのキャラクターを作り(ヒドラのことです)、その背景を変えることで、様々な場面を作ります。そしてAIに場面をつないだ物語を作ってもらいます。この一連の操作が別の「ナラティブ・パッケージ」です。本文で示しますが、もう一つ重要な要素がありました。それも加えて、今回の「ナラティブ・パッケージ」ができています。このように、「物語を創り出す操作セット」は複数あるでしょう。それ故、操作セットを見つけるという探求ができると思います。今回はここで述べた思考の連鎖を面白く感じました。blogでは、ベルグソンの「イマージュ」や「持続」の概念を扱った、2025.05.26の「イマージュ」, 2026.02.15「人の特性の考察」, 2026.02.19「「純粋」の考察」が関係しています。
物語作成に使う映像
素材
今回の「ナラティブ・パッケージ」に使う映像を作っていきます。これらは素材に対応しています。まず一つは、先回の粒子化したヒドラの映像です。再録致します。
次は、2025.06.14のblog「プロシージャル3「創発的関係性」」で使った、pbrによるディスプレイスメント効果により、地面を持ち上げ束縛から逃れようとする場面です。同様の手法で作製した映像を次に示します。
2つ前の「モノの形が作る場・・・」で粒子をコントロールできるようになりました。粒子が吸い込まれる場を作り、そこにヒドラを置くことで、抗って逃れようとしている状況が作れます。それが次です。
最後に、2025.07.28の「痕跡1」の毛ガメの背景映像に使ったのと同様なことを、ヒドラに対して行いました。パーティクルで泡を作り、point sprite MATを使って粒子を強調しています。またnoise TOPで背景の模様を付けています。私の中では閉じ込められていた状態から脱出し、自由になった状態のイメージです。
ナラティブ・パッケージ
AI Copilotにこられの画像を見せて物語を作ってもらいました。最初の物語は上述した映像の順番を守ってもらいました。AIに見せた映像を示します。

内容的は、閉じ込められていた状態から解放されるストーリをお願いしました。そして次が重要です。物語の最後に「実は、私自身の物語なのです」、と付けることを支持しました。これは2026.03.20のblog「アクターネットワーク」を書いたおかげです。ヒドラの物語なのですが、最後にこれを入れることで「私事」になるのです。これで距離感がグッと近くなります。後で述べますが、ヒドラや背景は勿論アクターです。そして読み手となる私もアクターなのですが、物語の中のアクターではないからです。物語の中のアクターにする必要があると思ったのです。「アクターネットワーク」を書いた後、少年が壁にボールを投げて戻ってくるのを拾う絵では、「これは私の子供の時の様子です」とコメントすると、少年と私との距離がぐっと近くなります。菜の花畑の少女の絵の場合も同様、「私もこんなことがありました」とコメントを加えると、私事となり、物語の中のアクターになるのです。
AIが作成した物語1
それでは上の4つの画像の順番で、AIが作製した物語を記載いたします。
➀砂に封じられた芽
「むかしむかし、海の底のさらに下、光も届かぬ砂の国に、ひとつの小さな“ひかりの芽”が封じられておりました。その芽は、まだ自分が何者なのかも知らず、ただ静かに、砂の重みに耐えておりました。けれど、心の奥には、「いつか外へ出たい」という小さな願いが灯っていたのです。
➁もがき、抜け出そうとする芽
やがて時がたち、芽は砂の中で身をよじり、伸び、縮み、どうにかして外の世界へ出ようとしました。砂は重く、冷たく、何度も押し返されましたが、芽はあきらめませんでした。
➂流れに吸い込まれそうになりながらも、逃れようとする芽
ついに砂から顔を出した芽は、今度は強い流れに巻き込まれそうになりました。前から後ろへ、後ろから前へ、粒子のような流れが絶えず押し寄せ、芽を飲み込もうとします。それでも芽は、くるり、くるりと身をひねり、流れの手から逃れようと必死でした。「まだ流されるわけにはいかない」そんな思いが、芽を支えていたのです。
➃そしてついに、自由を得たひかりの芽
長い長い時を経て、芽はついに流れを抜け、海の青い世界へと飛び出しました。そこには、やわらかな光、ゆれる水面、そして自由がありました。芽はもう、芽ではありません。しなやかな茎を伸ばし、美しい傘をひらき、海の中をゆったりと泳ぐ、ひとつの立派な“ひかりの生きもの”になっていたのです。
そして、物語の終わりに
この不思議な生きものの旅を見て、人々はこう言いました。「なんて美しい成長の物語だろう。「まるで誰かの人生のようだ」。けれど、語り手はそっと微笑んで言いました。「いいえ…これは実は、私自身の物語なのです」。砂に埋もれていた時期も、もがき続けた時期も、流れに飲まれそうになった時期も、そしてようやく自由に泳げるようになった今も。すべては、あなた自身が歩んできた道のりだったのです。
AIが作成した物語2
AIに画像の順番を変えて、別の物語を作るようにお願いしました。ただし先回と同様、最後に「実は、私自身の物語なのです」を付け加えることを支持しました。AIが作製した話の順番は次です。

そして以下が物語です。
➀海で自由に泳ぐ姿(はじまり)
むかしむかし、青い海の底に、ひとつの不思議な生きものが、ゆったりと泳いでおりました。その姿は、まるで光の糸を編んだようにしなやかで、海の流れに合わせて、傘のような部分がふわり、ふわりと開いたり閉じたりします。海の仲間たちは皆、「なんて自由で、美しい生きものだろう」と憧れのまなざしを向けていました。しかし、この生きものには、誰も知らない“昔の姿”があったのです。
➁砂に封じられていた頃(過去の記憶)
その昔、この生きものは、海の底よりさらに深い、暗い砂の国に閉じ込められていました。身動きもできず、光も届かず、ただ静かに、「いつか外へ出たい」と願うだけの日々。自由に泳ぐ今の姿からは、とても想像できないほどの静けさと孤独が、そこにはありました。
➂粒子の流れに巻き込まれそうになった頃(試練)
やがて砂から抜け出したものの、次に待っていたのは、前から後ろへ、後ろから前へと絶えず押し寄せる、粒子の流れでした。その流れは強く、一度つかまれば、どこまでも引きずられてしまうほど。生きものは必死に身をひねり、傘を広げたり縮めたりしながら、なんとか流れから逃れようとしました。「まだ流されるわけにはいかない」その思いだけが、小さな身体を支えていたのです。
➃もがき、抜け出そうとしていた頃(芽生え)
そしてさらに昔、砂に閉じ込められる前、この生きものは、まだ“芽”のような存在でした。茎のような部分を伸ばしたり縮めたりしながら、外の世界へ出ようと、何度も何度ももがいていました。その姿は、まるで「生まれよう」とする意志そのもの。この小さなもがきが、やがて砂を破り、流れを越え、自由な海へとつながっていったのです。
そして物語の終わりに
こうして、海で自由に泳ぐ美しい生きものには、誰も知らない長い旅路がありました。砂に閉じ込められた日々も、流れにもまれた日々も、もがき続けた日々も、すべてが今の姿につながっていたのです。語り手はそっと微笑んで言いました。「いいえ・・・これは実は、私自身の物語なのです。」
AIはもう一つ順番を変えた物語を作ってくれました。しかし物語を紹介することが目的ではないので、次へ進みます。
物語を作る一連の操作:「ナラティブ・パッケージ」
今回の話は次の操作を行っています
1.素材(映像・形・動き)の作成 2.順番(並べ替え)3.解釈(物語化)4.自己への反射(自分事の物語として読む)
この4つが揃う事で、個々のプログラムは素材・断片でなく、物語を語るパッケージになります。これが今回見つけた、ナラティブ・パッケージの2番目の「操作セット」です(1番目は「ナラティブ・パッケージ1」に当たります)。自己への反射を入れることで、アクターの効果を高めたのが特徴です。これによって、物語と読み手との循環が生じます。私が作ったプログラムはAIにゆだねることで、一旦私の外側に出て、別のアクターとして振る舞います(AIが関与したアクターとしてふるまう)。しかし最後の自己への反射によって私にもどってくるのです。作り手としての私は一旦読み手になるのですが、物語の行為者のネットワークの一部として回収されます。
「これは私自身の物語なのです」の代わりに、「これは私の願いです」、「これは私とあなたとの出会いです」、「これは私がまだ知らない未来です」、「これは私が置き忘れた記憶です」等と変えても同様にネットワークに回収できるでしょう。物語の外側にいたはずの読み手を物語の内側に引き込むことに繋がればOKです。
まとめ
「物語を創り出す操作セット」をナラティブ・パッケージと呼ぶことにします。「ナラティブ・パッケージ1」のブログでは、1.複雑さパラメータの抽出 2.それをもとにエフェクト処理した画像 3その画像のAIにるキャラクター化 4.そのキャラクター達を使ったAIによって物語、これらの一連の操作が「ナラティブ・パッケージ」でした。今回は、1.素材(映像・形・動き)の作成 2.順番(並べ替え)3.解釈(物語化)4.自己への反射(自分事の物語として読む)、この一連の操作が「ナラティブ・パッケージ」です。最後の自己への反射を入れることにより、物語の中のネットワークに自分も回収され、「私事」となるのが特徴です。このように考えると、別の物語を作る別の一連の操作、即ち別の「ナラティブ・パッケージ」もあるように思います。
このような物語の作り方が工業的と思われる方もおられるでしょう。しかしそれが本来の目的です。クルマを走らせる、人が何かの行為をする。そのことが「物語を創り出す一連の操作セット」に変換できれば、それは「クルマが走ると物語ができる」といったことに繋がるからです。

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