イグノーベル賞「Talent vs Luck」から考える非線形と社会の関係

非線形

はじめに

テレビを見ていると自己責任の話をしていました。自由にどんな職業にも挑戦できる時代、能力と努力の自己責任になりがちなのはわかります。しかしこの話は、2022年のイグノーベル経済学賞の「Talent vs Luck:the rolo of randomness in success and failure」(イタリア・カターニア大学Alessandro Pluchino教授)が、一定の解答を与えたと思っています。当時話題にもなりインパクトもあったように思いますが、すっかり忘れられていると思いました。そこで紹介致します。これは非線形の見方を社会に対して活用したの話であり、Monogokoroの関心と繋がっています。

Task av Luckの概要

恐らくこの論文は核心は次の図です。

人の人数と能力の関係はガウス分布しています。似たような能力の人が多くて、能力の高い人の人数は少なく、また能力の低い人の人数も少ない関係です。よく言われる努力をするということは、能力の高い側へ移動することです。何が成功と考えるかは人それぞれですが、ここでは成功を富としています。もしも世間でよく言われているように、能力が高く努力すれば、富が得られるとするならば、人数と富の関係もガウス分布になります。これは線形の考えです。しかし実際は図のように、人数と富の関係はべき乗分布になります。つまり富の少ない人が相当に多く、膨大な富を持つ人数は僅かになります。つまり2極化するということです。現代の状況と似ています。人数と能力の関係がガウス分布なのに、人数と富の関係はべき乗分布です。このように分布の在り方が変わるのが非線形です。ではどういう非線形があるとガウス分布からべき乗分布になるのでしょうか。これは幸運の出会い方の計算に原因があります。例えば100の富を持っている人が、幸運を掴むと10プラスされるなら、100 + 10、2回で100 + 10 + 10, n回で、100+10×nとなります。これでは大して増えません、べき乗分布にならないのです。しかし1回幸運を掴むと冨が2倍になるとすると、1回で100×2, 2回で100×2×2, n回では100×(2のn乗)となります。これでべき乗分布になります。これがガウス分布がべき乗分布に変わる理由です。この論文は、幸運の出会い回数に対してべき乗で富が増幅されることを指摘しました。Aさんの能力が95, Bさんの能力が85とすると差は10ですが、Aさんは幸運を3回出会い、Bさんは1回なら、富は100倍、1000倍と変わって行きます。従ってこの論文の結論は、
・最も成功した人が最も能力が高いとは限らない、十分高い能力を持っていて、多くの幸運に遭遇した人が富の上位を占める。
ということです。「乗法的な世界では、正規分布の能力からべき乗分布の成果が自然に生まれる」、このこと自体は、非線形に興味がある方なら、そうだろうな、ということですが、これを能力と富の関係に応用して述べた点に、非線形をこんな風に使うんだ、というインパクトがありました。

Task vs Luckを読んでの解釈

この論文では、「成功した人は能力が高かった」ではなく、「成功した人は、高い才能を持ち、なおかつべき乗の増幅経路を通った」ということです。つまり成功者を見ても、その結果から能力を推定できません。これは非線形性でいう、最終状態から初期状態を推定できないのと同じです。テレビ等の多くは、成功した最終状態を見てその能力を推定しようとします。これは間違いです。
別の間違いやすい点は、この論文は「富の世界がべき乗になるのは、人の能力がべき乗に成るからではありません。べき乗になるのは人の能力ではなく、非線形システムだからです。
もう一つ間違いやすい点がありました。富を得た者(成功者)はそれを自分の能力と努力とみなしがちで、必然と思ってしまいます。Task vs Luckを読むとこれは勘違いだと分かります。能力と努力だけでなく、幸運がべき乗で作用した結果です。
更に述べると、これは富だけではなく、都市規模、企業規模、論文引用数、SNSフォロワー数など、多くの成功の分布がべき乗になる理由にも通じています。これは能力の分布より、増幅のダイナミクスが支配的です。

自分は何ができるのか

この論文から若者に助言するなら、「努力しても必ず成功するわけではない」と思うより、「成功した人を見て、その差をすべて能力差だと思う必要は無い」、ということです。これは成功者への過大評価を抑えると同時に、失敗者への過度な自己責任論も弱めます。失敗は貴方の努力が足りなかったからだけではありません。社会は能力だけで決まる決定論的なシステムではないし、運だけで決まるランダム系でもありません。能力に運という擾乱が加わる非線形システムです。これは知っておかないといけないことだと思います。

そしてこのことは、富の話しではありませんが感覚的に体験することができます。例えば最近のMonogokoroでいうと、私はTouchDesignerのPOPという技術に出会いました。そこで微分方程式を相空間に表すことが、GLSLを使わないくても書けることを知りました。私がGLSLが不得意だから興味を持ったのです。相空間からSDFやforce fieldで”場”に変換できることを知りました。これもいろいろ触っていると見つかったことです。そしてmagnet SOPや回転やねじりの操作を入れると”場”が大きく変形できることを見つけました。フィードバック内に何か操作を入れると大きく状態が変化することを、別の体験で知っていたからです。そして更に、pbrと結びつけます。こうして結果的には、遠くまで来た気がしました。その時々で線形現象なら、なるほど、と言う感じなのですが、オーこうなるのか、という驚きがあります。これは非線形と結びついた感覚です。過去の体験がその時に合わせる運に影響しています。何度も幸運に出会ったと思います(私の場合、富とは何の関係も無い点が残念ではありますが)。非線形と出会った時の感覚を体験的に知っていることは重要な要素だと思います。

もう一つは、ストア哲学が参考になります(2026.09.06のblog「人の特性8:ストア哲学による物語を作る負の側面の切断」)。ストア哲学は「生じていることを認識して、自分がコントロールできることに集中して行う」、ことを主張します。つまり、「私は幸運と出会わないから」、と言っていてもしょうがありません。能力と富は確かにべき乗の関係ですが、能力と線形的な関係も多くあります。機械を修理とか、装置を作る、プログラムを書く、地域活動をする、スポーツをする、とかです。行うと上手くなるという関係は多くあります。これにより、自分の介入がシステムに影響する体験を作るとよいでしょう。様々なことをしていると、幸運と出会う確率も増えます。何かをして能力を高め、幸運と出会う確率を上げて、期待することなく待つ、これが良いのではないかと思います。

まとめ

2022年のイグノーベル賞「Talent vs Luck」を紹介しました。非線形を社会に対して適用したもので、インパクトがありました。一言で言うなら、「富は能力に運という擾乱が加わる非線形システムから生じる」ということでしょう。幸運と出会う回数がべき乗で働く非線形性がポイントでした。この論文を読むと、失敗に対する過度な自己責任論を弱める結果が得られます。またストア哲学と結びつけ、「自分がコントロールできる何かをして能力を高め、幸運と出会う確率を上げて、期待することなく待つ」という私見を述べました。

コメント