相転移に対する解釈の考察

相転移

はじめに

トーマスのアトラクターが相転移する話を書いてきました。書いている中で相転移は、科学と哲学の違いと、現代の方向性を語る題材になるのでは、と思いました。そこでこれについて考察してみます。

科学と哲学の層の違い

科学の相転移に対するアプローチは非常に明確です。何が変わり何が変わらないのかです、そしてそれらはモノにある、とする立場です。水蒸気、水、氷はエネルギーの違いで、相転移してもそれはH20です。トーマスのアトラクターは2領域に分裂する状態と遷移する状態がありますが、その本質は微分方程式で、臨界点にどちらにあるかの違いです。
一方哲学では相転移を説明するには、現象学まで明確ではないように思います。プラトンのイデア論では恐らく相転移は想定していないと思います。またカントは人が扱えるのは現象界の現れだけです。水が蒸気になることは言えますが、その背後にあるモノ自体については語れないとしています。現象学になると(現象学は基本的になんでも語れます)、相転移は「志向性」として語れます。しかし科学とは全く違う語り口です。科学では本質はモノにありますが、現象学では人側にあります。トーマスのアトラクターの相転移を見て、例えば、水が二手に分かれてまた合流することを思い、分裂と合流の志向性を持つ人もいるでしょう。また仲たがいするが仲直りするという人間関係に志向性を向ける人もいるでしょう。現象を体験した時に、志向性が生じる人側の構造に目を向けるのが現象学です。モノに目を向けてはいません。
科学と現象学のどちらが正しいとか言う問題ではありません。層が違っているのです。最近話してきた相空間を比喩として使うと、何かについて語るとき、科学の相空間と現象学の相空間があるということです。2つの相空間を使って語ることとで全体が語れます。科学の相空間は状態変数はx,y,zで、トーマスのアトラクターの場合、パラメータはbでした。現象学の状態変数は、志向性、注意、意味、価値等で、パラメータは状況、身体性、文化、記憶、等でしょう。その構造は科学ではアトラクターですが、現象学では、気づき、解釈や意味の転換、と言ったところです。
科学と現象学とは両極と言えますが、それがディスプロポーションの関係ではありません(2026.02.22blog「ディスプロポーション」参考)。つまり両極間を揺らぐことでダイナミズムを生むという関係ではありません。常に補い合うべきです。

もう一つ別の見方があります。これは科学と哲学を統一して見れます、それは仏教の縁起の見方です。全ては縁つまり関係性によって成り立っているとする思想です。相転移を観察すると見た目が変わりますから、確かに本質が見たままにはない、背後に何かあるという印象を受けます。
西洋哲学では一般に個別の要素があり、それが複合して機能や構造物を作ります。この場合相転移は、H2Oがあって別のものとの組み合わせではないので、説明しにくくなります。そこでH2Oの運動エネルギーを導入して、運動の仕方でも状態が変わるとします。つまり不変なモノがあり、その組み合わせと運動で状態が決まります。しかし仏教では最初から不変なモノはありません。あるのは関係性です。先に関係性があってモノを構成するのが仏教です。H2Oがあって、この状態によって、水蒸気、水、氷となるとするのが西洋的です。一方関係性の在り方で3つの相が現れるとするのが仏教です。この関係性が先にあるとすると、相転移も志向性も関係性で説明できます。私は詳しくありませんが、現代科学の方向も、関係量子論、複雑系科学、ネットワーク科学のように、モノに本質があるとせず、関係性に本質がある、とする方向に向かっているような印象を持っています。

そして工学はまた別のアプローチで科学と現象学を結びます。特にインターラクションの分野では、現れとしては人の感情に作用する必要があります。志向性を意図的に変えさせることで、驚きや意外性を提示します。装置としては、センサー、アクチュエータ、アルゴリズムの統合技術です。モノの動きによって人側に意味づけを誘発したり、変化させたりします。最近書いたblog「ストレンジアトラクターを使ったノイズ誘起遷移」のコントロールへの応用の節で、「待つ」という動作を作ることが、人の感情を動かすことを述べました。こうした考えは、工学によって何かを明らかにするというより、人の志向性の相転移を、工学を使って実現することに注力します。

まとめ

相転移を切っ掛けとして、科学と現象学、仏教、工学について関連を考察しました。工学は科学と現象学をつなぐ力を持っているし、仏教は統合する力を持っています。特に工学が便利な道具を作ることで、むしろ関係性を失っていく方向に向かっている現在の傾向が残念でなりません。モノと人との関係性をつないでいくために、Monogokoroを考察することが必要です。
表紙の絵は、これまで作製した中で相転移に関係した画像を集めたものです。石だと思っていたモノが筋肉のように動きだす例、ガサガサした映像が突然静かになる例、そしてトーマスのストレンジアトラクターです。石が筋肉のように動くのは、動きを与えたからです。これは現象としては相転移ではありません、しかし志向性としては相転移と言えるでしょう。後の2つは非線形性が原因です。特定のパラメータに対して敏感になる臨界点があり相転移現象です。映像が急激に変化します。これに伴い志向性も変わる所に面白さがあります。

補足:相転移ではありませんが、科学の見方と現象学の見方が明確に現れる話に、フレーゲの「明けの明星と宵の明星」の例があります。明けの明星も宵の明星も科学的な本質としては金星です。しかし、志向性としては、明け明星と宵の明星は全く違う別物です。明けの明星は、一日の始まり、希望、再生、といった意味を持ち、宵の明星は、一日の終わり、静けさ、安らぎ、余韻、といった意味を持ちます。モノ側の構造と、人側の意味づけの構造が違う層にある典型例です。

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