「純粋」の考察5:「石灰石」と「容疑者xの献身」の比較

純粋

はじめに

先日作家東野圭吾さんが亡くなられました。好きだった「容疑者xの献身」を読み直していると、シュティフターの「石灰石」を思い出しました。これは「石さまざま」という本の中の一つですが、岩波文庫からは「水晶」という「石さまざま」の代表的な作品の名前を付けた本の中に収められています。この本は石の説明が書いてある本ではありません。小説全体のイメージを石の名を付けた表題で表しています。「石灰石」に出てくる牧師と、「容疑者xの献身」に登場する石神と比較すると、どちらに対してもより深い人物像が立ち上がりました。またMonogokoroでは、「純粋理性」、「純粋経験」、「純粋持続」等の哲学的な純粋を比較的多く扱ってきました。哲学の「純粋」は「精神の形式」を扱い、文学の「純粋」は「人格の核の在り方」を表しているようです。これは文学の「純粋」について考察した、2026.07.08「「純粋」の考察4:「アウグスツス」と「ドリアングレーの肖像」の比較」においても、そのように感じました。私は人の持つ純粋さに興味があります。この2つの小説の中に、「アウグスツス」とは違った純粋さを見つけることができました。

自己肯定・否定から生まれる純粋

「石灰石」の自己肯定から生まれる純粋(牧師)と、「容疑者xの献身」の自己否定から生まれる純粋(石神)について述べます。哲学的な観点から言うと、キルケゴールの「死に至る病」が分析にぴったりです。この本は「絶望」が「死に至る病」だと述べています。結論の中心である、「牧師は自己を肯定し、石神は自己を否定した。この一点が、二人の純粋をまったく異なる方向へ導いた」。このことは「死に至る病」から看破できます。

「石灰石」に登場する牧師は、淡々と生活し、その中で子供を守ろうとする信念を持ち、長きにわたってそれを維持し、死後に貯めた財産で、子供たちの安全を図る事業に当てるよう遺言します。その意思を継いだ街の人たちが、彼の願いを引き継ぎ実現します。大変美しい話で最後は涙がでます。牧師は純粋で信念の人です。「容疑者xの献身」の石神と比較すると、この牧師の凄さがあらためてわかります。
牧師の独白から、彼は相当に学業に精をだします。しかし、
1.学んだことは活かせませんでした。
2.商売をしている実家を救うことができまんでした。
3.職業もまったく違う方向になりました。
4.牧師になって慈善事業のためにためたお金を2度泥棒に取られます。
このように、彼の人生は上手くいっていません。そして、恐らく石神が天才であるのに対して牧師は凡庸です(勉強がなかなかはかどらない点と、実家を救うための対策、2度同様の手口でどろぼうに入られている点を述べることで暗示しています)。通常こういう場合、人は「自分の努力は何だったのか」、「やっても無駄ではないのか」、「能力の高い人との比較」によって、「自分には価値がない」と自己否定に落ちます。絶望の方向へ動きます。しかし彼はそこへ落ちません。あるいは一度は落ちたかもしれませんが、立ち上がっています。これは何故か?結論を先に述べると、
1.信仰が彼を支えたと考えます。
2.「子供たちの安全を守る役割」という自分の価値を見つけた。
この自己の静かな肯定が、彼を絶望から立ち直らせたと読みました。自分を消すのではなく、自分を静かに保ちながら、他者のために尽くす。この構造が、「苦しみを通過した後の透明さ、純粋さ」を生んでいます。
牧師は、おそらく絶望したことのある人です。しかしシュティフターの筆は、それにまったく気づかせません。淡々と進む文章です。そして純粋なまま生き抜きます。そしてその純粋さは、死後に結晶し、地域の人々を動かします。この淡々とした文章が最後、「あーそういう人だったんだ」となり感動させます。私は「容疑者xの献身」を読むまで、恐らく彼は絶望を経験した人で、そして能力としては私と同様凡庸で、それにも関わらず、自己否定に落ちなかった彼の凄さに気づけませんでした。

次に「容疑者xの献身」の石神を見てみましょう。石神は天才でありながら、恐らく、
1.仕事に絶望しています。
2.社会との接点を失っています。
3.自分を「価値のない人間」と感じています。
4.彼は数学に対する情熱を持っています。しかし、それが現実世界との関わりを見つけれていません。「だからそれが何になるんだ」、と感じていると思います。
石神は「自分は価値がない」と絶望していたでしょう。だからこそ、誰かの役に立つことで価値を作る方向へ動きます。その「誰か」が靖子であったのです。靖子は彼にとって救いです。この救いで終わればよいのですが、靖子が元夫を殺すという事件に遭遇します。重要な点として、また石神を残念に思う点として、恐らく自分に価値がない、と思っていただけでなく、靖子の元夫やホームレスに対しても価値が無いと感じていたと思える点です。これが靖子への献身に対して殺人という方法を取らせます。石神は純粋な人です。この純粋さを「献身」という形で極限まで推し進めます。恐らく靖子に対する献身、そして彼の数学の能力を現実に結びつける行為に、彼は自身の役割を感じていたでしょう。もし彼の狙いが上手くいき、自分は捕まるが、靖子には捜査が及ばなくなった場合、彼女の幸せを願いそれで彼は満足するでしょう。この時恐らく、ホームレスの殺害には後悔しないでしょう。彼自身を含め、「価値が無い人間」という否定が、「石灰石」と全く違う結果になりました。

もう一つ比較する上で重要な観点があります。「人生には解決すべき問題だけがあるのではありません。受け入れるべき現実があります」。「石灰石」では、牧師は厳しい自然に長年暮らすことで、受け入れるべき現実を表現していると思います。石神は靖子が行った殺人に対して、殺したという事実を受け入れるべき現実とせず、解決すべき問題とした点が間違っているでしょう。

更にもう一つ指摘できます。石神は、ある条件を与えれば、その条件の元で最適解を導く、「閉じた系」での思考の達人です。しかし人間の心は変化し続ける開いた系です。彼には他者の心の持続を想像する力がありません。彼は自分が罪をかぶる、靖子は守られる、彼女は幸せに向かう、と考えたでしょう。しかし現実は、靖子は殺人を犯したこと、そして石神がその身代わりになったことに対して、思い悩み続ける人生を送るだろうことを、想像していません。彼の献身の結果として生じるだろう、他者の心の重さを想像できない人として描かれています。

感想

現代は効率化と競争、経済的評価が肥大化した社会です。この観点から、自己否定や自分に価値が無い、と感じることはしばしば直面します。一つには、これとは違う観点を持っていることが必要です。
今回は何よりも、「容疑者xの献身」を読まなければ、「石灰石」の牧師の凄さに気づかなかったという点が挙げれます。一見凡庸な牧師のように見えますが、純粋さを保ち、他者をコントロールしようとは決してしません。彼の献身が最後は人を動かします。今は本当に凄い人だと思います。また「容疑者xの献身」に対しても、「石灰石」を読んでいなけば気づかない点がありました。それは、「自分を自己否定しても、類似する他者も自己否定すべきでない」、ということ、もう一つは、「解決すべき問題だけがあるのではなく、受け入れるべき現実もある」、ということ、「他者の心の持続を想像する力が石神には無い」、ということでした。牧師も石神も純粋な人です。
最後に、石神と靖子は警察に捕まりますが、出所した後の未来を想像してみましょう。 物語として美しくするなら、二人が出所後に再会し、娘を含めて三人で静かに暮らすというハッピーエンドが考えられます。 しかしそのためには、石神が刑務所の中で「自己肯定」を回復し、さらに「他者の心の持続」を想像できるようになる必要があります。 これは石神にとっては相当にハードルが高いです。石神が、自分の価値を否定する純粋さから、牧師のように「自分を保ちながら他者を支える純粋さ」へと変化できたなら、三人で暮らす未来は決して不可能ではありません。 このような方向の続編は、希望として書くことができるでしょう。

表紙はトーマスのストレンジアトラクターの様々な在り様を並べたものです。人間といっても千差万別ですが、同じ微分方程式から得られるアトラクタ形状も様々です。心模様の比喩を表したつもりです。

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