「エピステーメ」の考察:ファウストを題材にして

文学

はじめに

物が秩序を持つものとして認識されるためには、その秩序を構成・確立する視点が必要です。そのような物の秩序に先立つ一つの知の枠組みが「エピステーメ」です。その時代を覆う、考えの枠組みと言った意味です。「パラダイム」と似ていますが、「パラダイム」は科学史における時代の分野における支配的なモノの見方です。「エピステーメ」はそれより広く、その時代における思考の可能性を制限する背景を指しています。フーコーの「言葉と物」の序章で、中国の百科事典を提示しています。その百科事典では「動物」を次のように分類しています。
– a. 皇帝に属すもの
– b. 芳香を放つもの
– c. 飼い慣らされたもの
– d. 乳呑み豚
– e. 人魚
– f. お話に出てくるもの
– g. 放し飼いの犬
– h. この分類自体に含まれるもの
– i. 気違いのように騒ぐもの
– j. 数えきれぬもの
– k. 駱駝の毛の極細の筆で描かれたもの
– l. その他
– m. 今しがた壺をこわしたもの
– n. 遠くから蝿のように見えるもの
現代からすると、「何をいっているんだ」という感じですが、当時はこれがもっともだと思われていたのでしょう。モノ自体に秩序があるわけではありません。それを分類するまなざしが、先だって必要です。そしてそれは、文化的な背景や時代によって違います。これを一言でいうなら、「過去は異国です」と言えます。
文学でこれを感じた話に、ゲーテの「ファウスト」がありました。ドイツ文学の最高峰として紹介されますが、そのようには思えません。矛盾や憤りを感じます。これを私の能力が足りないとも言えますが、「エピステーメ」ではなないのか、と思います。ゲーテのファウストは、16世紀のドイツの民衆本にでてくるファウスト伝説を参考にしています。これと、ゲーテのファウストと、現代ならどんな話になるのか、を検討して、「エピステーメ」について考察してみます。

ファウスト伝説

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ファウストは、学問や魔術に通じた人物として語られます。けれど、彼は人間の知だけでは満足できず、悪魔メフィストフェレスと契約し、一定期間の知識や快楽、力を得る代わりに、魂を差し出す約束をし、最後は破滅します。
これは16世紀の話で神は絶対です。人間が神の秩序を超えて知を求めるなんて、許されません。悪魔と契約するという行為は、神に対する背信行為です。これらは神への反逆ですから、当然破滅の結末になります。現代とはまったく違う「エピステーメ」ですが、神を絶対と仮定するなら、こういう帰結になるだろう、ということは想像できます。

ゲーテ「ファウスト」

18世紀から19世紀の初めにかかれた物語です。近代に入る時代で、理性・努力・主体性は重視され、欲望は人間の可能性でもあります。そして人間のために役立つことに努力する者は救われます。一方ロマン主義の時代でもあり、神秘性や幻想的な話も好まれます。

ゲーテの「ファウスト」も、ファウスト伝説と同様、知識を欲し、メフィストと契約します。大きく違うのは最後は神に許されます。欲望に迷い、間違いを犯し、悲劇を生みながらも、人間の可能性を信じて行動する存在です。誤りながらも前へ進む意思を持つ近代思想です。しかし、グレートヘンとその一家を破壊しますが、罪は償いません。偉大な干拓事業を行う過程で、戦争も行い悪魔の力で勝ちますが、それも過程にすぎません。また、神と悪魔メフィストは知り合いで、敵対している関係ではありません。神とメフィストは約束しますが、神はそれを反故にし、ファウストを救います。そしてまたファウストによって悲惨極まりない人生を送ったグレートヘンも、女性像の象徴として現れ、ファウストを許します。現代ではありえない話です。偉大な事業を成し遂げるれば、何をやってもかまわない、という傲慢さ、危険さ、が在ります。「人間の進歩」、「人類という枠組み」で進展するのを良しとし、「個人」や「実存」の考えは後退しています。18-19世紀の方が、この物語をすばらしい話と思ったのは、「エピステーメ」の違いを感じます。
勿論私が話しているのは、物語の筋だけです。文学的な表現として、戯曲や詩として、現代にも通じ、優れているのかもしれません。

現代ならどんな話になるか

ファウストの魅力は上述のように憤りを感じさるが故に、現代ならどういうファウストが描けるだろうと思わせる点にあると思います。いい話は、読後「あーいい話だったなー」ということで満足し、しばらく至福感を得ます。現代ならどうなるだろう、とは思いません。最初、現代には焼き直せない話のように思いましたが、次のような筋を考えました。それを紹介致します。

現代劇にするなら、神は巨大な権力を持つ政治家で、メフィストはその政治家に時折利益を誘導することで自分も私服を肥やす悪徳商人です。天才ファウストに莫大な資金を与え事業をさせ、それが成功すると、メフィストが利益を得て、その一部を政治家に渡す約束をします。メフィストはファウストに近付き、資金提供をはじめ便宜を取り計らう約束を迫ります。ファウストは自分の偉大な能力を発揮することが望みであり、私服を肥やすことには興味がありません。ファウストは悪徳商人を嫌いますが、ぞんぶんに能力を発揮したい誘惑に勝てず、資金提供と便器を図ってもらうことを受け入れます。成功時にはその利益をメフィストに渡す契約をし、両者は共謀するようになります。
途中知り合ったグレートヘンを好きになりますが、彼女の母親を殺し、兄を殺すことになります。そして狂乱した彼女はファウストとの間にできた子供を殺します。そして彼女も死へ追い込みます。彼は深い後悔をしますが、責任はとらず、自分の欲望を推進します。しかし、その欲望はいつしか公共事業に転換し、メフィストの協力により偉大な干拓事業を成功させます。そして自分自身は満足を得ます。メフィストは約束どうり、干拓事業により得られた利益を得ようとしますが、政治家は約束を反故にしそれを邪魔します。メフィストは目的を達成できません。そして政治家はファウストの業績を自分の業績とし、その代わりファウストの行ったグレートヘン一家に対する罪をもみ消します。メフィストは利益を得られませんでしたが、これら一連のスキャンダルの真相を知ることで、これまでより強く政治家と結託する力を得ます。次の年、その政治家は総理大臣に出馬します。街頭で演説をしています。偉大な干拓事業を成し遂げたこと、これが彼の売りです。そしてそのブレインとしてファウストが、財務担当者としてメフィストも近くにいます。そこへ一人の小さな女の子が近づいてきました。シークレットサービスは静止させようとしますが、政治家は愛想よく、その女の子を抱き上げました。その時、女の子は爆発、政治家もファウストもメフィストも爆死します。その女の子のことは誰も知りません。しかしシークレットサービスが静止させようとした際、女の子の名前を尋ねていました。今では女の子はグレートヘンと名のったことだけが知られています。

やはり私は、ファウストは許されるべきだとは思いません。またメフィストと約束をし、そしてそれを反故にする神もおかしいし、神がメフィストを止めたり排除しようとしないことからも、神とは思えません。勿論ファウストやメフィストの、目的を達すれば何をしてもよいというやり方は許されないと思います。最後爆死させる話がよかったかどうかわかりませんが、「めでたしめでたし」の話にはできませんでした。ここが「エピステーメ」の違いなのではないのでしょうか。

まとめ

フーコーの「エピステーメ」の概念を考える題材として、「ファウスト」を取り上げました。最後は現代なら、こんなふうにしないと話がまとまらないという意味で、話を作ってみました。「人間の理性はすばらしい」、「科学技術はすばらしい」等と、単純には言えないことを、文学では扱える点がすばらしいところだと思います。私は時代を超えて読める普遍性の有る文学が高く評価される文学だと思っていました。ファウストにはそれが無いと思います。しかし、「現代人は何と契約し、何を失い、何を救済と呼ぶのか?」、これを問い続ける普遍性が在ると思います。これを書きながら、最後は「ファウスト」の良さを納得した次第です。

表紙は、このblogをAI copilotに投げ、「現代ならどんな話になるか」の部分から絵を描いてもらいました。AIの凄さにも驚きです。

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